篤太はそう思っているようだ。
先週、篤太と遊んだ。
篤太の友人(女性、初対面)と共にカラオケへ。
カラオケ時も、その後友人が帰宅した夕食時も、とても楽しく過ごせた。
しかし、彼の「別れ」への姿勢は崩れない。
厄介だ。
いい雰囲気は吉兆かと思っていたらそうではなかった。
「トモダチ」としての付き合いを望んでいる。
私はそんなもの望んでない。
しかし、それを主張すると篤太は痛いところをついてくる。
「“トモダチ”と“コイビト”でなにが違うの?」
「最初にottoは“変わらない”って言ったじゃないか」
「トモダチのときにキスだったりなんだったりしたのはそっちだろ」
どれも正論で、どれもまだ解決してない問題で。
「付き合うってなに?」という疑問に答えが出せてない私が、「付き合うこと」に固執するのはおかしいと彼は主張しているのだ。
それは私も同意。
だから、きっと別れが来ても彼とは今まで通りに過ごせる気がする。
ただ、彼は私でない人と付き合うことが出来るようになる。
そうなれば、私はただつらい思いをするだけだ。
口出しは出来ない立場になるというだけだ。
ただ、それだけ。
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