一昨日、大学の仲間と夕食を共にした。
そこで私と
笑芽は飲酒する気はなかったのだが、周りに乗せられ、結局は飲酒するハメになった。
飲酒すると私と笑芽は非常に陽気になる。
我らの中で、一番陽気になるのは、そして一番素面時と変貌するのは私、笑芽、そして
卯刻だろう。
(私は演技も入っているけれど。)
普通にしているつもりであったのに、酔ってしまっては仕方がない。
卯刻に少し絡むことにした。
(この「絡む」という表現、非常に下種に思えるが、まさに下種な行動であったと反省する。)
ときどき周りの目を盗んでキスしてしまったことは、反省だ。
いや、盗めていたかわからない。
井達に「人を選べ」と言われてしまったからな……。
そう、井達と
繰句に注意されてしまったのだ。
井達に「俺に何をしても、お前が同性愛者だということを知っているからなんの気持ちも芽吹かないし、割り切って考えることが出来る。でも、卯刻は違う。あいつはそのことは知らないし、そういった穢れた関係に陥って欲しくない」と言うようなことを言われた。
確かに、浮気は穢れた関係だ。
そういったことを容認できる人間には、なってほしくない。
卯刻は太陽のような青年だ。穢れを知らずに生きて欲しい。
それなのに、私は彼にちょっかいを出してばかりいる。
本当に好きかどうかなんてわからないのに、好きだと言い続けている。
本当に好きかどうかなんてわからないのに、彼と彼に思いを寄せる女友達Aが仲良さげに話しているところを見て、嫉妬してしまっている。
そして、嫉妬しつつあることを卯刻に悟らせようとしていたのだから、タチが悪い。
なんだか、卯刻に対する私は「女」を意識している気がする。
「女」として、彼に接している。
いつもの私ではない。
いつもの私は、女であることを隠そうとしている節があることに気付いた。
女が嫌なのではない、「こいつは自分を女として扱って欲しがっている」と思われるのが嫌なのだ。
どちらかと言えば「中性的」な存在でいたい。
もちろん、完璧に中性的でいたいわけではないし、そもそもそれは出来ないと知っている。
そして、女である自分が嫌いなわけでもまったくない。
むしろ好きである。女でよかったと思っている。
ただ、そうでない、性別を感じさせないように接したいのだ。
だけれども、卯刻へのアプローチはどうだ。
いつもは強気でいる私が、彼と二人きりになると途端に甘えだす。
セックスするときも、これでもかというほどに「女」であろうとする。
そして、独占したがり、自分以外の女といる彼を悲しそうな目で見つめる。
どこまでが本当の自分だ?
何が本当の自分なのだ?
どれも私で、私の一部で、だから厄介だ。
私のある一部は、私の別な一部を嫌悪している。
それを認められないでいる。
こんな状態、成人になっても陥るだなんて思っても見なかった。
PR